農業由来の脱炭素においては、炭素クレジットの創出によるオフセッティングだけでなく、より短期的に取り組みしやすく、信頼性を確保しやすいとし、農産物のサプライチェーン上の脱炭素であるインセッティングへの注力が高まっています。

日本では、2027年から上場大手企業のスコープ3も含めたGHG排出量の開示報告が義務化される見込みであり、各社がGHG排出量の算定と削減目標設定、削減方策の検討を急いでいます。ただ、これまでの実践例がごく少ないため、インセッティングで広がるビジネス機会を十分につかむためには、方法論やビジネスモデルの理解が不足しています。今後、急いで知見を蓄えつつ、方法論の国際標準化に絡みながら、スピード感を持って業界連携体制を構築することが必要になってきます。

目次:

  1. オフセッティングの課題とインセッティングへの注目
  2. インセッティングとその実践
  3. インセッティングの認証化等の流れ
  4. 欧米政府による二段階認証に向けた動き
  5. 方法論と介入ビジネスモデルの必要性

1.オフセッティングの課題とインセッティングへの注目

世界の陸地にある土壌の炭素蓄積量は1.5兆トンと、植物体が蓄える炭素に比べ2倍あります。炭素吸収源として、森林等の植物体に加え、拡大を続ける農地を活用し、土壌炭素貯留等の方法を活用することは、その潜在的な貢献度の高さから、国際的な注目を集めています。

農地への貯留にインセンティブを与える一つの方法が、オフセットクレジットです。土地・自然由来のオフセット炭素クレジットでは、自主市場の役割が大きい状況です。EUコンプライアンス市場では土地・自然由来炭素クレジットは取り扱われておらず、米国加州のコンプライアンス市場でも森林、畜産・稲作メタンのみが対象です。唯一、豪州政府がコンプライアンス市場で活用可能な認証クレジットACCUで土壌炭素クレジットを扱っています。

自主市場においては、一般にはクレジット組成に独立した第三者認証があることが望ましいと考えられています。このため、Verra、Gold Standard、Climate Action Reserveのほか、開発協力を主眼とするSocial Carbon、サステナ農業認証を行うrenagri等が、農業由来の炭素クレジットのプロトコルと認証の仕組みを整備してきました。バイオ炭では、CSI、puro.earth、Isometric等の第三者認証の活用も増加しています。

しかし、自主市場で最も大きいシェアを持つVerra認証に対し、2023年1月のGuardian紙報道(熱帯雨林炭素オフセットプロジェクトの90%以上で、実際は価値がないとする調査報道)や、大手ディベロッパーのサウスポールの不正疑惑等が相次ぎ、第三者認証への信頼が揺らぎました。自然由来炭素クレジット価格が急落し、Verra認証の森林オフセットの取引所での取引は1ドル/トンを下回る低価格での取引が続いています。

そもそも、農業由来クレジットでは、測定・検証や信頼性確保、新規性や永続性といったクレジット化に係る根本的な課題が存在するため、既存のプロジェクトでは、各国の研究機関や民間機構等が開発した計算ツールやモデルを活用し、これら既存の第三者認証を活用せず、独自基準で取引する事例も少なくない状況です。

そういった状況下で、炭素クレジットによるオフセッティングだけでなく、より短期的に取り組みしやすく、直接的に関与できることで信頼性を確保しやすいとし、サプライチェーン上の脱炭素であるインセッティングへの注力が高まっています。

2.インセッティングとその実践

農産物・林産物を原材料として活用するサプライチェーンにおいては、土壌炭素隔離、森林管理改善等の手法により、炭素吸収を行う事が可能です。このサプライチェーンには、食品・飲料や林業だけでなく、ゴムやケナフ(自動車等)、衣料品、バイオエタノールやバイオディーゼル、持続可能な航空燃料(SAF)などのバイオ燃料、バイオマスプラスチックなど様々な分野があります。

サプライチェーン上で排出されているGHGを単純に削減するだけでなく、農地への炭素隔離を加えた形で、原材料のフットプリントを下げるという「インセッティング」の考え方が、2010年以降打ち出されてきました。

持続可能な航空燃料(SAF)において、代替燃料の炭素強度に応じた価格設定や税控除の仕組みが導入され、インセッティングを最終製品であるSAF価格に転嫁できるシステムとなったことも、インセッティングへの注目を押し上げました。

近年、この考え方の受け入れが拡大し、欧米企業を中心に実践事例が積みあがってきました。しかし、日本やグローバルサウス諸国の大手企業では、現状の取り組み事例はわずかです。

日本では、2027年から順次、上場大手企業に対して、スコープ3も含めたGHG排出量の開示報告が義務化される見込みです。更に、SBTiに沿って削減目標を設定する日本企業も増加しています。日本企業はこれら農林産系の原材料は海外調達がほとんどであるため、海外調達におけるスコープ3GHG排出削減に向けた対応準備が急がれています。

インセッティングの仕組み

3.インセッティングの認証化等への流れ

インセッティングへの注目の高まりを受け、枠組み整備が進んでいます。

2022年に、企業のGHG排出量の算定基準を示すGHGプロトコルにおいて、「土地セクター・除去ガイダンス」の草案が策定され、2025年初頭に概ね現在の草案に沿う形で最終化されます。

企業のパリ協定に沿った脱炭素目標設定を支える科学に基づく目標設定イニシアチブ(SBTi)も、2022年に「森林・土地・農業の科学的根拠に基づく目標設定ガイダンス(FLAGガイダンス)」を整備しています。

また製品別のライフサイクルアセスメント(LCA)を行うEPD等への組み込みも検討されています。

これらの整備により、農地・森林の炭素吸収等取り組みのスコープ3排出削減への活用に弾みがつくと考えられます。

これまで、インセッティング事例においては、各社自社基準のほか、民間・公的機関がそれぞれ開発したツール等を活用した対応が進められてきましたが、算定と目標設定の業界枠組みが整ったことにより、グリーンウォッシュ(うわべだけ環境に配慮しているように見せかけること)を避けるために、ある程度の第三者認証的な仕組みの導入も適当として、その整備と検討も加速しています。

こういった動きは、欧米企業・組織が先行しています。インセッティングの初期段階を牽引したpurや、ドイツ政府・スイス政府から拠出を受ける財団idh、150超の企業・NGOが加盟するCool Farm Alliance (CFA)、サステナ砂糖認証を手掛けるVIVE、綿等繊維・熱帯作物の再生農業認証を手掛けるregenagri等が活動しています。炭素クレジット第三者認証機関Gold Standardがバリューチェーン介入のためのガイドラインを整備済みです。オフセッティング・クレジットの第三者認証大手のVerraも、SustainCERTと連携したインセッティング向けの認証基準作りを急いでいます。

ただ、日本からは、GHGプロトコルの土地セクター・除去ガイダンス策定にあたって70社程度が参加したパイロットテストに唯一住友産業が参画したのみでした。現状では、日本企業や日本のソリューションプロバイダーはインセッティング市場機会を生むための国際標準化議論に、十分に参画できていない状況です。

4.欧米政府による二段階認証に向けた動き

EU及び米国政府は、コンプライアンス市場での自然由来・土地ベースの炭素クレジット取り扱いに対する慎重姿勢は崩していませんが、自然由来・土地ベースの脱炭素の取り組みを規模感を持って実行に移すことが極めて重要であるとの認識のもと、自主市場やインセッティングにおける取り組みを、強力に推進する政策的な方向性を打ち出しています。

対応すべき課題の一つが、農地・森林等の炭素削減・吸収に係る認証の信頼性確保と考えており、信頼性を担保するための二段階認証制度の創出に向けた動きを開始しています。

米国や欧州各国政府は、これまで自国のサプライチェーンのGHG排出削減に活用可能なモデルや計測ツール、システム整備を進めてきています。特に、フランスの自主市場での炭素クレジットで活用される低炭素ラベル(Label Bas Carbone)認証制度はオフセッティング以外にインセッティングでも活用可能です。

今後、オフセッティングとインセッティングを含め、様々な農地や森林等の自然由来のGHG削減や吸収を算定又は認証する官民のプログラムを、公的機関が更に認証する二段階認証の仕組みを設立するべく、動きを開始しています。

米国は、「成長する気候ソリューション法」に基づき、GHG技術支援プロバイダーと第三者認証機関を連邦政府が認証するプログラムを立ち上げる方針で2024年に諮問委員会を立ち上げました。

同年EUも、官民認証制度を公的に承認する「炭素除去・炭素農業の認証枠組み(CRCF)」に暫定合意した。

日本ではそういったインセッティングに資するような官民算定・認証等システムの二段階認証への動きはまだみられない状況です。日本政府は農業のJクレジット方法論のASEAN等の現地政府認証制度への取入れと二国間JCMの準備を進めていますが、加速するインセッティングを取り扱う方法論確立への対応は遅れています。

5.方法論と介入ビジネスモデルの必要性

日本では、2027年以降の上場大手企業のスコープ3 GHG排出量開示報告に向け、GHGプロトコルやISO 14064に沿う形での排出量の算定と削減目標設定を急いでいますが、今後インセッティングを実施していくためには、その計算に載せていくための方法論が必要です。

現状、調達品目について活用可能な既存のデータベースを活用して排出量を推計していますが、今後インセッティングの活動を反映させていくためには、個別品目でカーボンフットプリント(CFP)の情報を得て、それに対して様々な活動量の変化がどのようにGHG排出削減を達成できるのかを示していく必要があります。そして、それを全社的な排出量算定の計算に組み込める形で、一定の方法論として整備していく事が求められます。

さらに、介入のためのビジネスモデルにも、様々なアプローチがあります。直接的に農家からのサプライチェーンで個別の削減をひとつづつ反映する他に、サプライ・シェッドアプローチとして必ずしも直接的なサプライではなくても、地域的なアプローチをとることも可能と考えられます。また、必要に応じて、マスバランス方式(ある一部の原料が特定の性質(脱炭素等)を持っている場合、最終的な製品の一部にその特性の割り当てを行う手法)で対応しているケースもあるようです。

また、生産農家への導入にあたっては、技術支援と政策的低金利資金提供の組合せや、活動又は結果に応じた買取り価格加算、購入先のシフト等の様々な手法があります。資金の調達方法においても、別建ての基金の設立、余剰分のクレジットとしての販売、ブレンデッドファイナンスの活用等の様々な方法が考えられます。

また、インセッティングでは、マルチステークホルダーアプローチが不可欠です。サプライチェーンを構成する相手国の集荷業者、加工業者や、輸出業者の協力を得つつ、生産者にアプローチすることが必要です。生産者へのアクセスを考え、現地の集荷・加工業者等に中心的な役割を果たしてもらう必要がある場合も少なくなくありません。さらに個別生産者の規模が小さいケースでは、生産者組織や、現地NGO、現地等の支援を得る必要性もあります。相手国政府の普及機関や研究機関、日本政府、国際機関、金融機関や財団等の機関との連携も必要でしょう。

日本の大手企業が、インセッティングの機会を掴み、またそれを支える日本のソリューションプロバイダーの活躍のためにも、日本企業の取り組みで参照できる方法論や介入ビジネスモデルの整理と整備を急ぐ必要があると考えられます。

***

関連ブログ:

世界の農業分野の脱炭素社会への貢献シリーズ①:農業からのカーボンクレジット創出はテイクオフするか?~土壌への炭素蓄積とメタン排出削減の可能性

世界の農業分野の脱炭素社会への貢献シリーズ②:営農型太陽光発電

世界の農業分野の脱炭素社会への貢献シリーズ③:温室や植物工場等への余剰二酸化炭素の供給


小倉千沙
(株)メロス 代表取締役